calendar_viewer その日暮らしと日進月歩/
2010/10/13 (水)
考え事のかけら
- 今心がけること
ゆっくりゆっくり動かそう
かき乱されて取り組めないこともある
それなら
今やれるように取り組むだけ
できるポーズをとるのはよそう
助かりたくてなにも愛せないときもある
いうなら
かまってくれる人々がいるだけマシ
かくあるべしという思いだけが
人にかまう力を紡ぎ出せるものだろう
できない今ならやり過ごそう
寂さのあまり慈しみ合いたくなりもする
なにしろ
かき乱すだけってのはご勘弁
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2010/10/6 (水)
考え事のかけら
- 飽きてきてるのか
日中のみんながワサワサ動いてるようなとき
自分一人の作業は後回しにして
人にちょっかい出して遊んでみるポツリポツリと帰っていって
遊ぶネタが減ってきたあたりで
ようやく自分一人の作業を転がし始める。モタモタに身を浸してるようなこんなときは
今の日々に飽きてきてるってところか。
ん?いや待ていつもこんな調子だろ。でもここ数日の気乗りのしなさ具合は
あっちでもこっちでもたびたび巡ってきた
飽きの季節の空気になんだか似てる。どうやって越えたっけ。そもそも越えたっけ?
あやしてもらって気がつけば越えてたような。
あやし方が気に入らなければ突っぱねたような。まるで駄々っこ。
懲りずにひよっこ。
たぶん死ぬまでかまって君。
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2010/9/21 (火)
考え事のかけら
- やめたこと、続いてること
始めたところで続かないものは何だ。
いろいろ差し置いても続けようとしてるものは何だ。
今の自分の身の程でも続けられるものは何だ。何を続けてるのかよく判らなくとも遊んでくれてる人は誰だ。
続けていることに目を留めてくれてる人は誰だ。
そうして続けることに付き合ってくれてる人は誰だ。何も生まない時間を繰り返すうちに視界がぼやけることもある。
外の空気に触れる機会がそんな曇った視界を払ってくれる。
明日は何かを生む時間を過ごせるといいな。
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2010/9/8 (水)
- 「ウザい」を気にする文化
大人になって、ある時期から、身の回りで「ウザい」って言葉をよく使う人たちが現れ始めた。
俺の育った土壌では聞くことも使うこともほとんどなかった言葉だ。「お前ウザい」
こう言ってしまうときって、自分が人をどう扱ったものか困っているらしい。
ところが、ちょっと居直って言うだけで人を評価する言葉に変わるもんだから
わりとみんな居直って使ってる感じ。「俺ウザい?」「あたしウザい?」
こう言ってしまうときって、誰かに難儀をかけてることを許してほしいらしい。
許してもらえないとヘコむしかできないのにそれでも言うことで
優しい人を判別してる向きがときどきある。
なんだか、「ウザい」って言葉が使われるときって
どの場面を見ても基本的に言ってる方が被害者ヅラしてるね。
被害者ヅラしてられるからみんな好んで使うのか。
なるほど。
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- うざいって関東で使われている言葉では?私は以前から聞いてたんで。関西だとうっとおしいに変わってる気がする。 -- マリリン 2010-09-10 (金) 01:42:22
- 意味としちゃそのとおりだね。同じ意味の言葉だからこそ、なんかここへきて使われる頻度が高く感じられるのが気になるんだよねぇ。 -- kimita 2010-10-27 (水) 18:18:29
2010/8/17 (火)
- 歳を重ねる度に恒例の振り返り
耳を澄ませて
自分の体と会話してみるものの
やることなすことで
思ったような効果があがらない。自分の体の送るシグナルに応えたつもりが
一挙一動は痛みとなって返ってくる。
そうして苦い思いばかりを繰り返すうち
「とりあえずこれやっとくか」って気軽さが失われて
思いつき一つを始めるのにも腰が重たくなっていく。
この4年ぐらいそんなんが続いてるからか。
「自分が助かりたい」という気持ちに心が支配されてる。そんなんだからか
人と交わす会話も
肝心なところで「自分が助かりたい」って気持ちに引きずられて
人を思いやるための気の配りどころを見失ってしまうのだろう。自分が助かりたいためにとってしまった優しいしぐさは
ことごとくが余計な駆け引きにしか繋がらなかった。
自分が助かりたいばかりでなにも愛せていないんだから当然だ。
なにも愛せてない
誰も愛せてない
そう自覚してずいぶん経つ気がする。
そんな中でもかまってくれる人々があったから
どうにかこうにか生きた心地を得られていたのだと
改めて確かめる今。「どうやってこの状態を打破する?」
そう問うてみたときに沸いてくる答えはいろいろあるだろうけど。
どれをとるにしても気の重さを振り払うのにかかる時間は
ひと呼吸か
ひと眠りか
ひと月か
もはやどれほどかなんてわかったもんじゃない。そうして過ごす惨めでどうしようもないひとりの毎日は
気が重かろうとなんだろうとひたすら凌ぐぞ。
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