コメント/その日暮らしと日進月歩/2006-01-08 のバックアップソース(No.2)

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[[その日暮らしと日進月歩/2006-01-08]]

-「人生の折り返し地点」・・・いきなり君の考えを否定するわけではないが俺としては、人生において「折り返し地点」は無いな。一旦この世に「人」として生を受けた瞬間から、途中何らかの分岐点やターニングポイントに遭遇して道を変えた(であろう)としても、年老いて死ぬ瞬間に振り返る自分の道は常に1本しかなく、それがその人の全てだ。それ以外には無い。回り道も折り返しもな。なーんてごめんね生意気なこと書いて。ふと思ったんだよね。もひとつ、「生に〜実感がない」?沖縄飛び出した瞬間から今までずーっと自分に向き合って戦っているんじゃねえか!だから今こうやっていろんな自問自答を・・・いや自問だけかもしれないが、それをし続けられてんじゃないのか。その「自分自身の生に対する戦い」をやめた瞬間、そういう自問自答なんてのはしない気がするよ。まあ要は戦ってもいないなんてとんでもない!すでに戦いを無意識に始めているし、それを戦いきったとしても「死」ではなく次の新しい戦への道なんだ。この先輩は立派に次の戦いをしてると思う。「決して死ではない」・・・しかし一度やってみたいもんだ、何も「背負わない人生」を。今俺の頭の中にある「自由」という言葉の観点が覆るかも知れない。・・・とすいません生意気なことばかり長々と。 -- [[いのっち]] &new{2006-01-09 (月) 02:34:21};
-お、コメントありがとーよーっ 君の琴線に触れたようだね。&br;君のコメントの意図、俺なりに、君という人柄を踏まえてちゃんと飲み込んでいるつもりなので心配せんでね。&br;そして俺のこのレス、議論をすることが目的のレスではないので、解釈の参考ぐらいにしていただければと思います。&br; ====&br;おそらく俺とこの先輩は「背負っていない」という意味での自由に、おおいに浸ってきた共通点があって。だからかな、先輩が「自分の生」と「折り返し点」と表現していることが何を示しているのかを、俺なりに明確に感じています。&br;俺が思うに、「"折り返し点"というものがあるかないか」ということよりも、「これらの言葉が(表現した本人にとって)もっとも適切な表現であった」というところがミソなのです。ここで使ってる「生」やら「死」やら「折り返し」やらは、表したいことがあって「それが伝わりそうな言葉」を当てはめたに過ぎないのだ思っていただければ。&br;つまりだ、仮にその先輩が一生を終えるその時を迎えたとして「俺は2つの生を生きた」と発言しても「あの時から俺の人生は一変した」と発言したとしても、おそらく事象は同じ。でも、その人が表現に込めた思いには、ちょっとした、でも重要な違いがあるということを汲み取ってもらえれば、ということです。&br;俺自身のことを記述している部分についても同様に。&br; ====&br;久しぶりだな、あんたとこんなトークすんの(笑 -- [[kimita]] &new{2006-01-09 (月) 03:25:08};
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