その日暮らしと日進月歩/2006-01-08 のバックアップ差分(No.1)

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**考え事のかけら
-''折り返しを迎えることが出来るのか''
まだ沖縄にいた頃世話になっていた、チャレンジ精神旺盛の夢多き先輩が言っていた。
 高校のときにゆってた俺の予言当たったわ。
 「30なって後まで生きたない。30なったら死んだるわ」って。
 今な、折り返し点を越えてるわ。
 もう自分の生を生きてない。
 周りにいる人たちを支えるために生きてるわ。
と。
~今先輩は大阪で家族・親族を支えねばならない立場について生きている。
沖縄で暮らしていた頃とはまったく違う心境で。
自分の努力で培ってきた「自由」という土台の上で、激しく夢と野心を膨らませていた先輩だった。
転機を経て実家に帰り、今、確かに何かを「背負って」暮らしていると言う。
今まったくもって自由に自分のやりたいことを云々なんて考える気にならない、またその心境がイヤとかじゃなく、ごくごく当たり前のこととして暮らしが進んでいる、と言う。
~それこそ、確かな野心を持って、戦って生きてきた人だからこそ、そういう心境を迎えているのであろうと思えた。
俺は、ここで言うような「自分自身の死」を感じる瞬間を迎える時が来るんだろうか?
間違いなく俺は何かを「背負う」ということから免れて生きてきている。
が、かといって生に対してイマイチ戦っている実感がないここ数年だ。
戦いきって死を迎えた人にしか、通過することの出来ない「人生の折り返し地点」ではなかろうか?
戦ってもいない俺が、果たして折り返し地点を迎えることが出来るのだろうか。
これから、戦うんだろうか。

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