その日暮らしと日進月歩/2005-01-24 のバックアップ(No.2)
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- 1 (2005-01-24 (月) 09:27:01)
- 2 (2005-01-24 (月) 09:38:19)
- 3 (2005-01-24 (月) 09:38:19)
考えごとのかけら †
「ビジネスチャンス」と言う言葉が世に出回りだしたのっていつ頃だったろうね?
基本的に「人任せ」の風土で育った俺であり、そんな風土に染まりきることに抵抗を感じてたこともあって、望んで沖縄を離れたところもあるわけだけど。
そうして一人漂い続けてみてつくづく思うのは、「生きるということは常に戦いであるな」ということ。
そして「ビジネスチャンス」という言葉には、それを駆り立てるような響きを感じる。
やはり「人に選択の余地」を与えるということは、自滅への一本道でしかないか。
この肉食獣の社会の中で生き抜いくならば、人に考える余地を与えないで突き進む必要があるか。
俺がいつも自分自身に願ってやまないことは「自分の選択の余地が奪われないこと」である。
そして人に対してもなるべくそれを奪わないように心掛けている(裏返せばそれは「自分で選択しなければならない」という面倒を突き付けていることでもあるが)。
しかし「ビジネスチャンス」という言葉が社会の隅々にまで染み渡っているこの首都圏地域にいると、「相手が余計なことを考える前にまるめ込んでしまう」ことをためらっているやつに明るく思い描ける未来などないなと、つくづく思う。
B'zの歌にこんな一節がある。
いつのまにかこの街に 丸め込まれたのは僕 居心地いいと笑ってる そんな余裕は要らないのかな
俺の心境の表現としては「居心地が良い」と言うよりも、「なんぼかまし」という方がより的確だけど。
俺が「丸め込まれてしまった」という事はまちがいないことで。
去年一年間のロクデナシ生活により、俺は短く見積もっても向こう約5年間の選択の自由を捨てたといっても過言ではない。
そしてそういう人間に対してまた、この街は「ビジネスチャンス」という名の下に次なるドリームを与えて丸め込もうとするのだろうか。
見極めなくちゃならないかな。