その日暮らしと日進月歩/2009-11-03

Last-modified: 2009-11-03 (火) 19:14:25 (5280d)
※※このサイトは2012年頃より更新を停止しています。※※

考え事のかけら

  • さまようよろい

    どっぷりブラウザ三国志に漬かったこの2ヶ月ほど。
    人との共同作業や組織活動を伴うオンラインゲームなので、
    自分の自分たる部分が、良くも悪くも随所に現れる。

    それは、このゲームでの場面に限らず、
    いつどこでどんなチームに身を置いていても現れる。

    実に見事に、いつものこと。

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    仮に。
    「もっと一緒に遊べたらいいのに」と思ってくれてる人がいたとしても。
    自分がなにか力になれている手応えを感じれていないと、
    なかなか心地よく居られないもんだったりするよね?

    「いてくれてるだけでもいいんだよ」と、誰かが言ってくれたとしても。
    居るだけしかできないなら、力を発揮できる自分を思い描けないなら
    力不足な自分への不安が先に立って落ち着かないもんだったりするよね?

    「自分の出る幕は終わったな」と、そう感じるときというのは、
    ホントに終わっているときなのです。
    ここで言う「自分の出る幕」とは、
    誰かが自分に協力を求めているときのことではなくて。
    自分が自分のままでたまたま力になれているとき、のことなのです。

    つまり、「そこに居続けるにはもう自分が自分のままで居られない」と、
    そう感じ始めたときが、出る幕が終わった時なのです。

    何かの共同作業に取り組んでいると、
    ステージというかステップというか、
    当座の目標の転換点がたびたび訪れるものですが。

    何気なく始めたことが
    なんだか場の役に立っちゃってるステージがあったりします。
    あるステップを越えてステージが移った時から
    自分のままで居たのでは足を引っ張ると気づくことがあります。

    そこで我が強すぎると、
    ステージに合わせて自分を変えることなんて、
    なかなかできるものではありません。
    役目を終えて、変わりようの無い魂は、
    次の時間の注ぎどころを探してキョロキョロ。

    ギリギリ遊んでもらえそうなおもちゃを
    ありったけ荷車に積んで引きずり歩き、
    「こんな自分で申し訳ないけど、遊んでくれるか?」

    おぉ、これぞホームレス。

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    こんなことばっかゆってるから、
    いつまで経っても足りないところだらけなんだとは、
    わかっているつもりなんだが。
    いかんともしがたいものでございます。

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