その日暮らしと日進月歩/2008-03-29
考え事のかけら
- この期に及んで
自分に対して「この期に及んで」という言葉を投げるようになったのは、いつからだっけ。
7〜8年ぐらい前のころは、「可能性ぐらいしか売り物のない自分」が歯がゆかった。
「可能性」って言葉に、うんざりする気分を感じてたことを覚えてる。2〜3年前ぐらいから、「可能性だけでは売り物にならなくなる時期」を感じるようになった。
「自分の正味の自力で社会と向き合わないと」なんて考えてた俺には、むしろ歓迎だった。三十路に入ってみると、今度は可能性と取って代わるようにして、「三十路に至るまでに重ねてきた経験」ってやつが売り物になっているようだ。
当然といえば当然のことなんだけど。
手に業(ワザ)
暮らしに人
割と多くの人がそういった何かを自分の中に収めて迎えるであろうこの年頃を、何も収めてない俺でも迎えている。
「よくこうして暮らしてられるもんだ」と感じるのは、世の中が実に良くできているからなんだろう。
そんな今にあって、「いろんな可能性を考えられる声ですねぇ」といった言葉をかけられて真っ先に感じたことは、「この期に及んで可能性って言葉に色気づくもんでもねぇよなぁ」ってこと。
むしろこの評価からは、「やっとこ可能性を量れる段階に入ったところなんだね」と、ちゃんと自分の身の程を知ることができる。
この期に及んでこんな俺だけど、社会とちゃんと取り引きをするタネは、イビツながらも育ってきてるような気がしてる。
だから、これは売り物にするつもりで取り組んでるんじゃなくて。
一緒に遊んでみたい感性を持ってる人たちに「可能性ってやつで遊んでもらってもいいですか」と、自分からかまってみる気持ちになりつつあるってことなんだな、たぶん。 - おまけ
歌ってやつには歌い手の人柄が出るもんだけど、俺って「淡白」なんだとさーw
抑揚の幅の薄さや表情の硬さはずっと昔から自分でも感じちゃーいたけど、「淡白」という評価はなんか新しかった。
大阪の人々からしたら俺は淡白に写るってことなんかな。いや、この数年を経て俺自身が淡白な人になったんだろうな、たぶん。
自分でもそう感じるし。あと、やーっぱリズムの取り方が硬い。
もっとうねりをだせんとだなー。
グルーブっ
グルーブっ
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