その日暮らしと日進月歩/2004-07-30

Last-modified: 2005-01-16 (日) 08:18:12 (7040d)
※※このサイトは2012年頃より更新を停止しています。※※

面接の帰りの電車にて

  • 今日は、あるお仕事の紹介の面接にいってきた。
    その帰りに考え事してて、一つ思い出したこと、そのおかげで見晴らしのよくなったことがあった。

     

  • 発端

    面接に際して、今回のお仕事を紹介してくださる方としばし確認事項を含めたトークをした。大雑把にまとめると、
    1.俺自身がこれまで携わってきたこと
    2.これから紹介する仕事のこと
    3.俺がこれからどうしていきたいと考えているのか
    といった点の確認である。

    1と2については、ありのままを話し、内容を確認するだけなのでいいとして。
    問題は3である。俺にはこの「将来に対するビジョン」がない。まったくない。
    付け焼き刃で体裁よくビジョンを立ててみたところで絶対に破綻することが目に見えているから立てきれないということもあるわけだが。
    しかしコンピューター技術・技術者を扱う経営者側からすれば、まがりなりにでもこの「ビジョン」を持っている人間のほうが、安心して使えるってもので。

    当然知っていたことではあるが改めて今回の面接で、「技術者の雇用」という景色の背景を再確認できた。
    この再確認を経て、電車の中でしばし考え事にふけっていて思い出したことがある。
    それは、今回また俺が「コンピューター技術方面で仕事してみようか」と思うに至った経緯のミソについてだ。

  • 少し振り返って確認

    その中身の話しの前に振り返っておきたいことがある。
    俺は大学進学をした当時「教師になりたい」と思っていたということ。
    中・高生の頃、俺は周囲に比べて多少勉強ができるほうだった。で、テスト前とか、内容がわからなくて困ってるやつに教えることがしばしばあったわけだが、この時に「一所懸命教えて、相手が"わかった!"っていう手応えを掴んだときの表情・様子」がやたら嬉しかった。そしてなにより自分自身がいろいろわかっていくプロセスを思いっきり楽しんでもいた。
    他にもいろんな要素が俺の「教師になりたい」という願望を育てたが、「教える」ということを職にしたいと思うようになった基礎は、上記の一点に尽きる。

    ではなぜ教師になる道をやめて別の方向を模索することにしたかというと。
    一言でいうなら「俺がいったいなにを教える気だ?」と思ったからだった。
    ヘタレの俺が人に偉そうに何かを教えるなんぞ、誰が許しても俺が許せなかったわけである。
    だけど妙な話、「教える・わかる」ということの喜び・充実感ってものを誰よりも良く知ってる自信だけは、不思議と今でもある。

  • 思い返したことの中身

    そんな俺が思い返したことってのは。
    俺が大学を辞めてから現在までの間、一番長く(たった一年だけど)勤めた職場がある。通称「もしもし」だ。そこでの勤務期間中のある一時期、俺はやたらイキイキしていた時期があった。それは、俺が「業務レクチャー」を担当するように頼まれたときだった。
    その職場は事務処理と電話業務の職場で、オペレーター(以後OP)と呼ばれる要員が一日にフロアに50〜80人ぐらいいる。そんななか、業務に周知だけでは足りないような大きな処理変更・追加があると、OPにわかりやすくレクチャーをする必要がでてくる。
    それを任されたときの俺のイキイキしていること。もともと個々のOPからの質問にとことん噛み砕いて教えることを好んでいた俺だったし、人前にでて話す場数も多少踏んでるので自分が整理のついてる内容ならまったく怖じ気づくことなどない。
    「分かり易かったよ」とゆってくれた日にゃ、そりゃ調子づきます。実質どうだったかは知らんが。

    そしてもう一つ思い返したこと。
    この2ヶ月ほどの間に、また「プログラミングを始めるか」と思うに至った直接のきっかけである。
    ラグナロクオンラインというネットゲームを去年から継続中の俺だけど、そのゲームでできたネット友達がいる。その友達は大学の情報系に在籍してて、Perlのプログラミングを授業で扱っているという。
    ある時友達がメッセで「今授業中ー。CGIわっかんねー」といってて、俺が多少のアドバイスをした。で、アドバイスするにしても俺もPerlに触れなくなって久しかったもので、その場でPerlリファレンスをひもときながら矢継ぎ早に質問に対する例とかを示していった。
    そして、俺が意図したことがちゃんと伝わってくれた感じで、「教える・わかる」の喜びをこの時にまた味わうわけであります。

    俺が「またプログラミングするか」と思ったのは、この時に「あ、初期段階のことだから教えれたけど、ちょっとレベルがあがると俺すぐいっぱいいっぱいになるな」と感じて、ちょっと修行したい欲求が沸いたがためであった。
    その一環として、リンクにあるミュージックスクールグルーブ、レーベル:ガーデンレコに小さなスクリプトを提供したのだった。

  • 思い返したことから少し見えたもの

    やっぱり俺が「教える」そして「わかる」という行為に喜びを感じることは相変わらずだ。
    そして今日面接で突き付けられた「君の将来のビジョンは?」という問いに対して、俺が何かしらの答えを返すとするなら、やっぱりこの「教える」というポイントをはずすことはできないな、と思った。
    なにしろ「プログラミングの力を鍛えたい」と思ったきっかけが「ちゃんと教えれるやつでありたい」ということだから。
    そしてこの「ちゃんと教えれるやつでありたい」という自分への望みは、俺が「教師になりたい」と心から思っていた当時の原動力でもあったし、また、「俺が教師になってなにを教える気だ?」と問うてその道を辞めることにした直接的な原因でもあった。

    「教えれるやつでありたい」という願望を「職」という形で実現できるかどうかは、今は考えてもしゃーない。なにしろ教えるポジションに立つならまずはエキスパートであれ、って話だから。

    経営者側が求める「君のビジョンは?」という問いに、今の俺がギリギリ答えを返すならこうか。
    かろうじて今ほんの少し見える「ビジョン」を青臭い言葉で表現してみると、「教えることのできる人間になるために、もっと現場経験を積みたい」というところだろうか。

    kimitaよ、この言葉を掲げて、自分でつぶれたりしないでいられるか?
    ヘタレのお前が、自分を支えて歩いていけるか?

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